kyupinの日記 気が向けば更新 -6ページ目

女王陛下のCTスキャン

 

 

かつて、CTスキャン(Computed Tomography、コンピューター断層撮影)がない時代、脳腫瘍が脳内の左右どちらにあるかも確実に診断できなかった。実際、手術で頭蓋骨を開けてみると、腫瘍が左右逆の半球にあることもあったと言う。当時の脳神経外科の術前の臨床検討会は、まず脳の左右の半球のどちらにあるかが議論されていたのである。

 

当時、今は行われなくなった気脳撮影も行われていたが、脳脊髄液を空気で置き換えてX線撮影すると言う患者さんへの侵襲の大きい検査だった。

 

その後、CTスキャンという素晴らしい検査装置が発明・開発されたが、これはイギリスの有名なEMIと言う音楽会社が関わっている。昔、ビートルズのアルバムを買うと、ジャケットにEMIとクレジットされていたものだ。

 

当時、EMIは音楽だけでなく、軍事や医療の分野も研究を行っていた。CTスキャンのアイデア、原案は南アフリカ共和国、ヨハネスブルグ出身の物理学者、アラン・コーマックによる。彼はケープタウン大学で物理学を修め、アメリカに渡り大学教授になった。(後に彼はアメリカに帰化したためアメリカ人と言われることが多い)

 

彼は素粒子物理学の研究をしていたが、X線技術にも興味を抱き、CTの理論的な土台、概周期函数に対するラドン変換及びその逆変換から、離散データを得る計算を繰り返すトモグラフィック復元を開発した。

 

この研究は1963年と1964年の2本の論文として発表されたが、イギリスEMIのゴッドフリー・ハウンズフィールドとその同僚が、1972年に実際に装置を開発するまで、全く注目されなかった。アラン・コーマックとゴッドフリー・ハウンズフィールドは、1979年ノーベル生理学・医学賞を受賞している。

 

CTスキャンは脳の断層面を平面的に黒白のグラデーションで描くことが可能で、画期的な検査装置であった。CTスキャンは非常に高価だったこともあり、大学病院が購入できるのは、ずっと先だろうと考えられていた。

 

実際、ある臨床の教授が、「あのような素晴らしい検査装置が、すぐに大学病院に入ったら、医学部のグランドを逆立ちして歩く」とまで言ったらしい。

 

ところがその言葉は、言霊と言うか、マーフィーの法則と言うか、よくわからない偶然が重なり、その言葉の通り?すぐに全国の大学病院に納入されたのである。

 

この経緯だが、イギリスに対して当時の日本の貿易黒字が大きかったため、それをいくらか相殺するために日本政府がCTスキャンの購入を決めたと言う話である。

 

果たされなかったことは、その教授の逆立ち歩きだけだったのである。

 

これが女王陛下のCTスキャンの話である。当時、ビートルズが女王陛下から勲章をもらっていたし、007シリーズで「女王陛下の007」と言うタイトルがあったほどで、そんな風に命名されたのであろう。

 

その女王陛下のCTスキャンだが、初期の製品だったこともあり、精度が悪くアーチファクトが多い画像しか撮れず、とんでもなくポンコツだった。僕は精神科医局でまだ1年目だったが、精神科の入院患者さんのCT撮影の担当だったのでよく憶えている。

 

僕が卒業した当時はMRIが発売される直前だったが、その画像は天地の差があったと思う。

 

これらの概略は、先輩医師から聴いた話である。

 

MRIがあれば、CTスキャンが必要ないわけでは決してなく、それぞれにメリットがある。CTスキャンは今も更に高性能になり、医療現場で広く使われている。

 

インターネットとスマホ普及による医療への影響について

インターネットやスマホの普及により、患者さんは病院・クリニックの評判や、自分の診断を詳しく検索できるようになった。また、処方されている薬に効能効果や、副作用なども簡単に調べられる時代になっている。

 

今回はこれら患者さん側のインターネット・スマホの普及の影響ではなく、医療者側、特に医師側への功罪について。雑談的な話も交えながら。

 

現在、医師を含め医療従事者は著しく都市部に偏在し、過疎地域には碌に人が集まらなくなった。地方では医師不足で閉院になりかねない総合病院が普通にある。

 

先日、土曜日の午後だったが、偶然、一番の繁華街で大学時代の友人に会った。その友人は、そこまで親しくはなかったが、面白い人だったので大学時代は話すことがある人だった。

 

医学部は同じ学年の入学生が非常に多いとは言えないが、それでも在学中にほとんど話すことがない人がいる。特に語学のクラスが違うとあまり知らないことも良くあるのである。その人は同じフランス語クラスだったので、話すことがまだある方だった。最も良く知っている同級生たちは、解剖やポリクリの同じグループだと思う。以下は過去ログから。

 

 

抜粋

大学にもなぜかクラスがあり、2組に分かれており一応コンパなどもクラス単位でやっていた。それと別に語学のクラスがあり、これは形だけ3クラスに分かれていたが、たまにクラス単位で忘年会などをやっていたように思うがあまり記憶にない。また、実習やポリクリの5~6人のグループもあり、よく解剖学実習やポリクリの区切りに飲み会に行ったものだ。この辺りは競争意識が乏しく、むしろ戦友みたいなものだった。

 

その土曜日に友人に会った時、多分間違いないと思ったが、急に名前を思い出せず「〇〇です!」と、こちらから名前を言った。その友人がこちらを見て「あ〜あ〜」と言った瞬間、僕は彼の名前を思い出し呼びかけた。

 

彼に今どのようにしているか聴くと、かなりの僻地の総合病院で麻酔医として働いていると言う。過疎地で麻酔医がいないと手術が出来ないので、彼はその地域の医療インフラにかなり貢献していると言える。いつも病院の宿舎にいて、週末は自宅に戻って来るようだった。僕は彼に「〇〇市の医療に大きく貢献してますよ!」と賞賛したのである。

 

このように街中で昔の友人に会うことがここ2週間で2回もあった。いずれも同窓会にほとんど来ない友人なので、かなり久しぶりに会ったことになる。しかし、僕は2人とも一瞬で昔の友人とわかった。どうも多少面影があるくらいですぐに判別出来るようなのである。もしかしたら、いつも表情を観察する仕事なので、顔の加齢による変化の範囲もよくわかるのかもしれない。

 

昔、医局時代、医局を通さず勝手にアルバイトに行ってはならないと言われていた。これは、何のことかわからないと思うので少し説明すると、当直や休日のアルバイト先は、基本医局を通して個々の医局員に割り当てられる感じなのである。

 

当時、都市を離れた地域では当直医がかなり不足しており、交代で夜間当直に行った病院の当直室に事務長が訪れ、今後毎週か2週間ごとに当直に来て欲しいと言われることが何度かあった。そう言う時代であった。

 

つまり精神科病院には医局と繋がりが大きい病院とそうでない病院があり、医局と繋がりがない病院は常時、夜間の当直医が不足していた。そのような病院は敷地内に院長の自宅があり毎日が自宅当直だった。携帯電話もない時代、これだと夜に外食にも出られない。まして海外旅行など絶望的に無理であった。大きな何百床の精神科病院で、なんと実質2名か1名半の精神科医で?やりくりしているのである。2名だが、1名だけ精神科医でもう1人は高齢の内科医というケースもあった。

 

僕は夜間当直中に院長と事務長がやってきて頼まれ、あまりに気の毒だったので受けたところ、女性の医局長に速やかにバレてしまい注意されたが、今後行くなとまでは言われなかった。どうもスポット的に他の医師の交代で当直に行くのは良いが、毎週火曜日とか定期的に行くアルバイトは医局の許可が必要なのをその時に初めて知った。

 

夜間当直は距離的に限度がある。朝起きて大学で仕事が始まるまでに時間的に帰って来れないような病院は、当直に行けないからである。極端な過疎地は、精神科の常勤医師を集めないとやっていけないと言える。

 

当時は携帯電話もインターネットもなく、情報収集すると言ってもかなり制約があった。平日の夜間当直や休日の日勤も自分1人では見つけることが難しい時代であった。医局中心に病院への派遣を決定していた。現在は医師の派遣会社がいくつかあり、病院が依頼すれば当直医師がそれこそ県外からでも来てくれる。逆に真にフリーの医師でも仕事や収入に困らない時代である。

 

僕が卒業当時、精神科を選び医局に入らない選択肢も僅かにあったが、かなり異端と言えた。それでも精神保健指定医の資格がまだない時代だったので、今から考えるとまだその選択肢も可能だったと言える。

 

当時、県外から医学部に入学した学生は、卒業の際に大きく3つの選択肢があった。1つ目がその医学部に医局に残りその県でキャリア積む。2つ目は出身地に戻ってその都道府県の大学医局に戻りキャリアを積む。3つ目はそれ以外である。

 

それ以外とは、魅力のある大学医局や国公立の大きな精神科病院に入ることである。これは当時ホームページがない時代だったので、色々調べる必要があり、気合いの入っている学生は卒業までに見学にも行っていた。当時は、情報収集に長けた人しかできないことだったと思う。

 

この辺りのハードルが今は断然低くなった。

 

今の研修医制度(初期臨床研修制度)は大学卒業直後に、一旦、あるいは永久に大学を離れる制度なので、卒業生が地元大学医局に良くも悪くも縛られることがなくなった。もちろん昔も厳密には縛られてはいなかったが、外に出て行くことはそれなりにストレスなのである。僕が他県からの入学生なのに、卒業大学に残った理由の1つはそれである。他の理由は大都市で生活するのはそこまで好きではない上、出身県より大学のある県の方がかなり魅力的と言うのがあった。

 

少なくとも、僕は地方都市でキャリアを積んだことを後悔していない。

 

今の時期研修医制度の目的は色々あるが、1つは医師が専門バカではなく、総合診療医的なスキルも身につけてほしいのがあったと思う(医師として必要な基本的な診療能力(プライマリ・ケア)を身につけること)。

 

厚生労働省に医局の力を弱めたいと言う目的があったのかはわからない。総合診療医は僻地医療にいれば有用な専門医師である。しかし研修医制度は思わぬところに影響し、人口減少が進む地方の医療が崩壊しかねない事態になった。このようなことはこの制度を考えた時には予想していなかったのでは?と思う。これは、かつて僕が思っていたことである。

 

しかし今となっては研修医制度があろうがなかろうが、これだけインターネットやスマホが進化すれば、現在の医療状況は大きな差がなかったのでは?と思う。

 

今の研修医制度発足後、インターネットの発達もあり、医師の医学部卒後の流動性が圧倒的に増したのである。流動性が増せば、医師が大都市に集まるのはやむを得ない。

 

地方都市は、同じ時間を費やすのに、エンターテイメントの選択肢が少なすぎると言うのがある。また、それは実際に体験しないとわかりにくいと言うこともあるのである。

 

現在の地方の医療崩壊は、皮肉にもインターネットやスマホの普及が促進したと言えると思う。

 

 

 

 

 

エルフェンリートのオープニング主題歌「Lilium」

 

 

2004年に発表されたエルフェンリートというアニメにLiliumと言うとても美しく神秘的な主題歌がある。これは聖書から引用されたラテン語の歌詞で、なんと日本人の音楽ユニットにより作詞作曲されている。

 

この楽曲はさまざまなキリスト教の宗派を超えた讃美歌となっている。これは日本人が作ったからこそだと思う。

 

なお、アニメタイトルのエルフェンリートとは、妖精(エルフ)の歌という意味である。

 

この元のアニメ内容だが、いわゆるスプラッター系と言われるジャンルで、あまりに残虐なので、余程好きな人以外は観ない方が良い。自分には到底耐えられないのでもちろん観ていない(怖い映画は苦手。例えばエイリアンとかバイオハザード)

 

とは言え、内容は気になるので、病院職員でアニメ好きの人に紹介したところ、なんと海外からDVDを取り寄せて観たと言う。どうも、本質は差別を扱ったものらしい。色々、他にもあったがもう忘れた。

 

 

男性のLiliumのカバー。男性でもこのくらい歌える人がいる。

 

 

ハープを演奏しながら歌っている。

 

このアニメ、讃美歌とも日本人にはほとんど知られていないが、ヨーロッパでは非常に評価が高い作品らしい。

 

なお、アニメと漫画では終わり方が異なっていると言う。いずれにせよ、セカンドシーズンへの含みを持たせた結末なので、欧米のファンはそれを待ちわびていると言う話である。(出るわけがないが)

 

 

 

このアニメは鎌倉、江ノ島あたりが舞台になっている。聖地巡礼の動画。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔はよく行われていたが、今はむしろ身体に良くないとされているもの

子供の頃、クラブ活動で運動中は水を飲んではいけないと言われていた。この根拠は諸説あるが、クラブ活動の監督は「水を飲むと血液が薄まり疲れやすくなる」と言っていた。血液中のブドウ糖が下がると言っていたのかもしれない。

 

子供だったこともあるのか、先生にそんな風に言い含められると、こっそり水を飲むと本当に疲れが出たものだ。

 

この話は今は完全に否定されているどころか、真反対の禁忌事項になってしまった。いつ頃からそうなったかは知らない。

 

今回、ワールドカップサッカーの本戦では、前半、後半の真ん中あたりで給水タイムが設けられていた。前半、後半とも23分目くらいである。そのため、ロスタイムがかなり長くなった。時代も変わるものである。

 

この給水タイムだが、この時間を利用してテレビCMをいれられるので、アメリカ的な発想である。

 

野球はテレビで放映する際、攻守交代やピッチャー交代の時にCMを入れやすく、非常に都合が良い。まるでテレビ向けに設計されたスポーツのようである。

 

一方、サッカーはそうではなく、給水タイムでも入れないと、ハーフタイムくらいしかCMを入れられない。走りっぱなしのスポーツだからである。実際、アメリカでサッカーの試合中にCMを入れたために、その試合唯一の得点が入ったこともあったと言う。

 

いずれにせよ、今、スポーツクラブの指導者が運動中に給水を禁じ、生徒が熱中症になった日には、裁判で責任を追求されるであろう。

 

子供時代に普通にあったことで、今は完全に否定されているものでは、「うさぎ跳び」なども挙げられる。うさぎ跳びは膝関節など、関節を痛めそうなところがいくつかある。他、上体起こしも状況によれば腰などを痛めそうである。

 

実は精神科でもかつては推奨されていたが、今は否定されていることがある。最も知られているのは、過換気症候群のペーパーバックの対応であろう。

 

これはおそらく過換気により炭酸ガスを吐きすぎて呼吸性アルカローシスに至るのを避けたいと思ったからであろう(炭酸ガスは酸性)。

 

実に理論的な対応に見えるが、酸欠や症状悪化、窒息の危険性が高いので、今は否定されている。

 

これは1989年、過換気症候群でのペーパーバックの危険性を指摘した論文が出たことにより常識が変わったのである。

 

 

 

 

 

 

現在の中核病院と個人クリニックでのマスク着用状況

 

 

2020年初め頃からの新型コロナ流行後、日本国内では未だにマスク着用者が多い。市役所やデパートなどのある程度公共の場所では、勤めている人たちは結構マスクをしている。訪問者、お客さんの着用率はそこそこだが、それでも着用している人も多い印象である。

 

これは海外とは全く光景が違っていて、日本人はかなり特殊だと思う。僕は2020年から2022年まで海外に行くのを中止し2023年に海外に久々に出かけた。最も驚いたのは、全くと言って良いほどマスク着用者がいなかったことである。

 

僕は感染症にかかると普通の人より長患いになるので、今でも人が密集する場所、例えば機内などではマスクを着用するようにしている。

 

医療現場もずっとマスク着用必須が続いていたが、2026年6月にたまたま中核病院に行った時、マスクをするかどうかは個人に判断を任せるような張り紙があり驚いた。無理にマスクを着用しなくても良いと言っているのである。

 

しかし、中核病院はほぼ全ての診療科があるわけで、何らかの感染をしている人たちが待合室を含め多いはずである。そういうこともあるのか、その日、広い待合室ではマスクをしていない人がほとんどいなかった。現在、マスクは自分を守るために着用するスタンスだと思う。

 

異常と言うレベルで常時マスクをしていることは、おそらく健康にマイナスになりそうである。なぜなら、様々な細菌やウイルスに晒されることで免疫が強化される面があるからである。特に子供などはそうだと思う。

 

日本もようやく世界の平均レベルに近づいたと言える。なお、厚生労働省は、2023年3月13日からマスクは個人の判断に任せると言うアナウンスをしている。ただし、医療機関従事者はマスク着用を推奨している。

 

<医療機関や高齢者施設などの対応>
○高齢者など重症化リスクの高い方が多く入院・生活する医療機関や高齢者施設などの従事者の方は、勤務中のマスクの着用を推奨しています。

 

 

最近、ある個人クリニックの整形外科を受診したところ、待合室に「マスク着用は個人の判断で良い」といった張り紙を見た。写真を撮りたかったが医療機関では撮影禁止が多い。少し遅れて中核病院と同じ方針になったようであった。しかし、内科系の個人クリニックでは今もマスク着用を強制されていることが多い。一方、内科クリニックの院外薬局ではマスク強制ではなさそうに見える。

 

確かに整形外科クリニックでは、内科より感染リスクが低そうではあるが、ほとんど90%の人たちがマスクを着用していた。

 

個人的には、今の時期、異常に暑いので、マスクをしないで済むならその方が助かると言った感じである。

 

現在の個人の医療機関のマスク着用状況だが、徐々に緩められてはいるものの、まだマスク着用が普通といった感じだと思う。

 

参考