皆さま、こんにちは!
名鉄広見線の末端区間(新可児駅‐御嵩間)が
2028年度中に廃止されることが決まりました。
そんな広見線には複雑怪奇な歴史がありまして…
現在は新可児駅(JR側は可児駅)で乗り換えが可能な
名鉄広見線とJR太多線ですが、
歴史を辿ると両線は
多治見駅(初代)‐広見駅(初代)‐御嵩駅(現在の御嵩口駅)を結ぶ
東濃鉄道の一本の鉄道路線でしたの。
今はライバル会社同士の名鉄線とJR線が
元々は同じ鉄道会社の路線だった話、
スゴイと思いません?
東濃鉄道は大正7年~9年にかけて開通した
軌間が762ミリの軽便鉄道でした。
その後の東濃鉄道ですが
多治見駅‐広見駅間は昭和3年の国有化されると
広見駅‐美濃太田駅間が延伸して現在のJR太多線に。
広見駅‐御嵩駅間は昭和3年に電化、改軌して東美鉄道へ…
昭和18年に合併して名鉄線に変わり現在に至ります。
東濃鉄道が2社の路線に分割した昭和3年、
太多線の開通に合わせ広見駅(現在のJR可児駅)が
西側に移転しました。
すると現在の広見線のルートも
新しい広見駅に接続する新線に改められましたの。
下は国土地理院のサイトに掲載中の昭和23年撮影の航空写真でしたよ。
上の写真、東濃鉄道時代の旧線が廃止されてから
20年後に撮影された写真ですが、
よく見ると旧線の廃線跡や初代・可児駅の跡が薄っすらと残ってます。
よ~く見てくだされ。
廃線跡の一部が道路に転用されてる様子もわかりますよね。
更にさらに!
グーグルマップと見比べたところ、
旧線が廃止されてから98年が経過したのにも関わらず
廃線跡とわかる場所があることがわかりました。
自分が気づいた場所は①〜③の四角で囲った3か所でしたが
探したらもっとあったのかな?
これらを歩いて周りましたので順を追って紹介します。
まずは①で記した場所。
広見線の新旧線が分岐する地点で
廃線跡とわかるカーブのまま道路に転用されてました。
現地の様子です。
右に見えるのが旧線の廃線跡を転用した市道で
緩く右にカーブしているがわかりますよね。
その先はこんな感じでしたよ。
奥に見えるカーブしている市道が廃線跡でした。
線路があった位置ですけど…
市道が拡幅されているのでわかりません。
次は②のスポットです。
可児駅の周辺は碁盤の目のようにきれいに整地されてますが
スタバの背後にあるこの場所だけ
道路や街並みが斜めっているのです。
赤いライン上に東濃鉄道時代の線路があったのではないでしょうか。
再び現地の様子です。
中央に見える洗車場の向かいに見える道路が廃線跡でしたよ。
間近で見るとこんな感じです。
東濃鉄道の遺構があればと必死に探しましたけど…
さすがに見つかりませんでしたわ。
昭和23年撮影の航空写真を見るとわかりますが
廃線になってからしばらくの間、
辺りは水田しかなかったはずです。
廃線跡とわかる地形が今でも残っていること自体が
キセキかもしれません。
最後は③番のスポットです。
市内を県道64号線(飛騨木曽川ユリノキ街道)が伸びてますが
そこにあるサイゼリアの背後辺りに
東濃鉄道時代の広見駅があったと思われます。
ここも廃線跡に沿って並ぶ住宅地にご注目ください。
サイゼリアに到着~
ホントはタラコソースのパスタとピラフで
グラスワインをグビグビやりたい気持ちですが
酔いつぶれたら夜の飛行機に乗り遅れちゃいます。
はやる気持ちを抑え
背後に見える状宅地を目指しました。
看板の後ろに見える道路が東濃鉄道の廃線跡…かな?
ここもですね、昔は道路に沿って線路があった…
と言う程度の話で、
「ここが廃線跡」と断定できる
決め手になるようなブツは見つかりませんでした。
奥に見える民家さん辺りに
初代・広見駅跡があったのではないでしょうか?
間違っていたらごめんなさい。
東濃鉄道時代の廃線跡めぐりは以上で終了です。
今回、これらの廃線跡や廃駅跡を眺めるために
新可児駅から徒歩移動を開始。
前波駅跡→学校前駅跡→東濃鉄道の廃線跡を経由し
2時間後に再び新可児駅に戻ることが出来ました。
無事に廃駅跡を見るノルマが達成できた自分へのご褒美として
新可児駅でたい焼きをゲットしましたよ。
駅にいた大勢の高校生がたい焼きを買っていたので
釣られちゃいましたが、マジで美味かったです。
いちご味のたい焼きは初めてだったかも。
名鉄広見線の訪問記はまだまだ続きます。
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