こんにちは爆  笑

 

御三家パパの受験ノートです。

 

息子の中学受験に3年間伴走した父親です。

 

 

ゲームと中学受験の話の次は、

父親の関わり方の話を書きます。

勉強は教えない、と決めていました

このブログの最初に書いたことですが、

私は勉強を教えませんでした。

 

当時の理由は、はっきりしていました。

 

算数を教えられるほどの学力がない。

 

中途半端に口を出すより、プロに任せたほうが息子のためになる。

そう考えて、勉強以外の全部をやることにしました。

ただ、全部を手放したわけではありません

ここは、あまり書いてこなかったところです。

 

記述だけは、教えていました。

国語や社会の記述問題です。

 

文章を読んで、何を書くか。

そこは一緒に考えていました。

 

つまり私は、教えるか教えないかの二択にしていなかったんですね。

教科ではなく、領域で分けていました。

算数を渡した理由は、あとから増えました

当時は「学力がないから」だと思っていました。

 

でも今振り返ると、理由はもうひとつあります。

 

私は理系ではありませんが、数学は得意なほうでした。

 

だから算数くらいなら見られるだろう、と最初は思っていたんです。

 

でも、それがかえって邪魔になります。

 

数学ができる人間は、まず方程式で解こうとします。

 

ところが中学受験の問題は、

方程式で解こうとすると、かえって解きづらくなるように作ってあるんですね。

 

ここは誤解していました。

方程式を使えば一瞬で解ける、なんてことはありません。

 

むしろ遠回りになります。

 

塾で習う型で解いたほうが、ずっと速いんです。

 

それなのに親が自分のやり方を見せてしまうと、どうなるか。

 

子どもは、遠回りの道を覚えることになります。

 

そして、塾で習った解き方に戻れなくなる。

 

これは学力の有無とは、別の問題でした。

記述は、ぶつかりませんでした

一方で、記述はどうだったか。

 

ここには、塾と競合する「型」がほとんどありませんでした。

 

文章を読んで、何が問われていて、どこを引用して、どうまとめるか。

 

やり方が1本に決まっているわけではない。

 

だから私が入っても、塾のやり方を壊さずに済みました。

 

仕事で文章を書いてきた経験も、そのまま使えました。

 

同じ「教える」でも、ぶつかる場所とぶつからない場所があったんです。

分けたことで、成長が見えました

そして、これがいちばん良かった点です。

 

算数は塾。

記述は私。

 

担当がはっきりしていたので、どこが伸びたのかが分かりました。

 

記述の点が上がってきたとき、

自分がやったことに意味があったと確認できる。

 

算数が伸びたときは、先生のおかげだと素直に思える。

 

塾の先生との役割分担が明確だったから、子どもの成長を実感できたんだと思います。

 

だから、教えなかったことに迷いはありません。

教えている父親も、同じところでつまずいていました

いろんな合格体験記を読んでいると、

算数を教えているお父さんの記録がたくさん出てきます。

 

そして、ほぼ全員が同じところでつまずいていました。

 

怒ってしまう、というところです。

 

ある記録では、怒っても逆効果だと気づいたお父さんが、

架空のキャラクターに教えさせるという形式を編み出していました。

自分が教えるのをやめて、キャラクターに任せる。

 

汚い字の答案を、まず読める形に書き直してから見るようにした父もいました。

 

いま思うと、あの摩擦は性格の問題ではなかったのかもしれません。

 

自分の解き方と、塾の解き方。

2本の道が家の中でぶつかっていたのだとしたら、怒りたくもなります。

教えるかどうかではなく、どこを教えるか

もし今、勉強を見るかどうかで迷っている方がいたら、

 

二択で考えなくていいと思います。

 

決めるのは、こちらです。

  • 塾と解き方がぶつかる領域は、渡す
  • ぶつからない領域を、ひとつだけ持つ

記述でも、理科の暗記の確認でも、社会の年表でもいい。

 

塾のやり方を壊さずに入れる場所が、どこかにあります。

 

そこが1つ決まっていれば、

伸びたときに、誰のおかげかが分かります。

 

私にとっては、それがいちばんの収穫でした。

 

(前回は、ゲームで揉めたのは受験が終わってからだった、という話について書きました。)

次回は何を書こうかな

 

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