🙂自閉症スペクトラム
共感性が低い、とか社会性が低い、と表現される事が多い。
先日、YouTubeで見た
『自閉スペクトラム症と定型発達の見え方の違いがわかる実験』
byろみの発達障害チャンネル
被験者達に、ある数分のアニメーション
を見てもらい、そこから何を読み取ったか、
というもの。
アニメーションを見た後の、
定型発達の人と
自閉症スペクトラムの人(知的遅れは無し)の、
それぞれの感想を一例ずつ読み上げてあったが、
特に違いが分かりやすい例を選んだのだろうけど
それにしても 驚き![]()
最後に発信者の ひろみさんが
個人的な解釈として、
“ASDは社会性がないというより、
意味がわからないから関わる事ができない、
というほうが合っていると思う”
と話されていた。
それがとても印象に残っていたところへ、
こちらの記事![]()
ジミーちゃん、すみません![]()
かつて 私も笑っていました…
反省の機会に、なぜ笑ったのか考えてみると、
製作者、出演者が笑わせるように作っていたというのは さて置き、
『その辛さが 自分の知っている感覚の中に無い』事が、
大きな要因になっているのは間違いなさそう。
感覚過敏や感覚鈍麻は、
その本人にしか実際に感じられない。
「どれだけ辛いかは本人にしか分からない。
“このくらいで、大げさだ、
自分だったら平気”
なんて言ってはいけません。」
と聞こえるようになってきたのは最近のことか。
対して
悪口、無視、意地悪 など、
感情にダイレクトな事に対しては、
「誰だって同じ事されたら嫌だよね、
分かるよね、
絶対にやめましょう。」
感覚過敏や感覚鈍麻は理解されづらいのに、
感情の共感性は当然のように求められる。
(ほんとは『感情』だって、本人にしか分からないけれど…)
感覚的な特性 と
他人に対する共感性の薄さ
の両方を持っていて、かつ
そばに理解者がいない のに
周囲からは、他人の気持ちの理解を求められる
そんな日々を暮らしている人の苦しさは
どれほどのものだろう。
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“少数派” は理解を得るのが難しい、という現実。
昔、まだ子供を産む前、私が
たまたま 目にした、肢体不自由をかかえる成人のかたのブログ。
ご自身が『障がい者』と言われることに対する想いが綴られていた。
〜〜〜〜〜
コミュニケーション能力が高く求められる社会においては
コミュニケーション障害
パーソナリティ障害 という名が付けられ、
横並びの学校教育の中では
学習障害 という名前が付けられ
全体の中の、少数派がいて、
その存在が目立ってきたら、『障害』?
あの時代には “障害” じゃないのに
この時代には “障害” ?
〜〜〜〜〜
そんな文章が書いてあったと思う。
名前がつく事で、支援が受けられる。
たしかに それも だいじな事だと思う。
でも、誰にとっての障害?
これを目にした10年前も、
現在も、
この想いに 返せる言葉が見付からない![]()