尾崎豊と山田かまちと思春期の鬱屈 | 水面に浮かぶ水銀の月

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下級役人から見た、教育現場の内実や子ども達との日々を、愛を込めて発信しています。

(夫) 「 みなも一番大切な人
 亡くなっちゃったね… 」
 


 「 えっ!? 



 尾崎豊?!




(夫) 「 ……(-.-)…… 」



1992年4月25日

尾崎豊さん ( 享年26 )
早すぎる死でありました。



 「Ilove you 」よりも
『Forget-me-not』推しです💟


中学生時代。


学校は、大変に荒れていました。
教師による体罰も日常的に横行。

それも、大半の真面目な生徒
向けて、連帯責任とやらので…


二度とは戻りたくない、時代です。


そんな、思春期の10代
を過ごした私にとって

尾崎豊(あえての敬称なし)
登場は、衝撃!でした。

当時に感じていた、大人や
社会への不信感苛立ち


「 的確に言葉にして、それを
作品として表現している!」

「 さしても変わらないのに!!」



憧れと同時に何というか、

敗北感 を覚えました。



カリスマとして崇められすぎた
せいで、好き嫌いも二分されて
いましたが、もともとは純粋に

表現者だったのではないかなぁ…

さだまさしさんの「縁切寺」を歌う、
中学時代の尾崎さん。

素晴らしき表現力!!
(↑バックに流れる(?)子供時代の
写真の数々が泣ける😭💦 )




尾崎さんが影響をうけた人物
一人とされる、山田かまちさん。
( 1960~1977年 享年17 )



自分に救いを求めよう。


何か 自分以外のものに
すべてを信頼しきっていたら
もし そのものが消えた時、

君はだめになってしまうよ。


自分だったら 
消えることはないし、

消えたらその時から すべての
目的は消えるんだから

自分ほど信じられるものはないよ。


だから こうしよう。


自分さえいれば
どんな時でも救われている…と。

自分さえいれば、どんな時でも
いいようになろうってね。



山田かまち『17歳のポケット』より



かまちさんの

こんな言葉に救われて
その世界観に憧れたり

そして、ちょっぴり才能
嫉妬したりもしたのかな…?


でも私にとっては
尾崎さんこそ、が

鬱屈とした思春期の
代弁者でありました。




「 何の為に生きてるのか
 わからなくなるよ
 
 手を差しのべて お前を
 求めないさ この街

 どんな生き方になるにしても
 
 自分を捨てやしないよ 」


 『 十七歳の地図 』



時々僕は 無理に君を
僕の形に はめてしまいそうに
なるけれど

二人が育む愛の名前は

街に うもれそうな 
小さな わすれな草


『 Forget-me-not 』尾崎豊