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ありがとうございます
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まずは
ここまで走り切った親子に
本当にお疲れさまでした
毎日のお弁当
朝の送り出し
夜の丸つけ
今年は長い夏休みでしたから
なかなかの量でしたね
今日は総括として
この夏ずっと
引っかかっていたことを
つらつら書かせてください
きれいにまとまった話では
無いのですが
こんな見方もあったかと
ちょっとだけ
お付き合いしていただけると
嬉しいです
どこを拾うかは
みなさんの考え方次第です
お昼休みに
単語リレーをしていました
都道府県を北から順に
時代を古い順に
これは覚えていなければ
出てこないので
出来なくても
まあ、仕方がない
でも
「あ」から始まる
中学受験の言葉を言ってごらん
そう言った途端に
教室が止まりました
青森
秋田
愛知
有明海
アンモニア
アルカリ性
アルデバラン
飛鳥時代
安土桃山
足利尊氏
暗きょ排水
秋吉台
浅間山
足尾銅山
アメリカ
アジア
・・・
・・・
いくらでもあるのです
でも
出てこない
青森すら
出てこない
そこでこちらから
「青森」
と、1つ出してあげると
「あ、秋田!」
「あ、愛知!」
県名なら少し繋がります
それででも
せいぜい1人1個
また止まる
フックがないんですね
頭の中にあるものを
自分で探しに行くための
きっかけを
自分で作れない
「あ」なら
まず都道府県から
探してみようか
次は山や川
歴史ならどうだろう
理科にもなかったかな
そうやって
自分で範囲を決めて
頭の中を探していく
その作業が
とても難しいように見えます
これは
ほかの場面でも感じます
中大兄皇子は?
と聞けば
「大化の改新!」
これは答えられる
でも
大化の改新をしたのは誰?
と逆から聞くと怪しくなる
では
何のための政治だった?
となると
もっと出てこない
AからBは答えられる
でも
BからAへ戻る
BからCへ行く
そこから別の知識へ
飛んでみる
それが難しい
私の感覚だと
覚えていないのとは
少し違うんですよね
頭の中には入っている
でも
自分で取りに行けない
私はこの夏
そこがずっと
気になっていました
こういう子は
昔からいました
私も何度も見てきました
でもね
10年前と比べて
明らかに増えたと
私は感じています
結構、上位生でも
こういう現状があったので
本当に考えてしまいました
それで
考えていました
子どたちはいつから
自分から何かに働きかける経験を
こんなにしなくなったんだろう
ある子に
もっと外遊びして
頭を自由に働かせてよね!
と言ったら
え!でも私
結構公園に行ってるほうだよ!
と言っていました
でも、聞いてみました
遊具で遊ぶといっても
遊び方が決まってるでしょ?
この遊具はこうして遊ぶって
決まってるでしょ?
うん・・・
そりゃそうだよ
危ないもん
と言う返事
昔は
はい、昭和の小学生は・笑
ブランコもぐるぐる巻いたり
ジャングルジムから飛び降りたり
滑り台は逆さから滑ってみたり
違う遊び方を発見することが
楽しかった
でも今は
公園に行っても
好き勝手に
遊べるわけではありません
令和3年の
総務省の調査では
板橋区の公園
395か所のうち
ボール遊びができたのは
たったの15か所
今は少しずつ
増えてきているようですが
でも
ボール遊びのできる公園を
わざわざ探さなければならない
そんな時代になったこと自体は
考えてみてもいいと思うのです
空き地もない
道路は危ない
子どもだけで
自由に出歩ける範囲も
狭くなりました
イギリスの調査では
1人で下校していいと
許されていた小学生は
1971年には86%
2010年には25%
この数字を
このブログの読者の方が
少し心に留めておくだけでも
自体は変わるのではないかと
期待します
もちろん
昔に戻ればいいなんて
思っていません
危ないものは危ない
安全のために
必要になったルールもあります
でも
子どもを守るために
1つずつ
大人が決めていった結果
子どもが
「さて、どうしよう」
と考える場面まで
減らしてはいないでしょうか
そして
今は動画があります
あれは
向こうから流れてきます
何もしなくても
次が始まる
退屈する前に
次の刺激が来ます
大阪大学と浜松医科大学が
885人の子どもを
追いかけた研究があります
2歳のときに
画面を見る時間が
1日1時間を超えていた子は
4歳のときに
身のまわりのことをする力も
言葉のやりとりの力も
低くなっていました
ここからが
私は気になりました
週に6日以上
外遊びをしていた子は
身のまわりのことをする力への
影響は小さくなっていました
でも
言葉のやりとりの力のほうは
外遊びを増やしても
その低下は減らなかったそうです
外で遊べば
全部取り戻せるという
そんな単純な話でも
ないんですね
でも、なんとなく全部
今の姿に繋がっていませんか
もちろん
この研究だけで
動画を見たから
「あ」から始まる言葉が
出てこなくなった
そんなことまでは言えません
私は
そんな話を
したいのでもありません
ただ
子どもが育つ時間の中から
何もないところで遊ぶ
余白で遊ぶ
そこにあるものに
自分から働きかける
退屈して
自分で何かを始める
そういう時間が
ずいぶん減ったのではないか
そう思っているのです
何もないところから
自分で遊びを引っぱり出す
それを
ほとんど経験しないまま
勉強になった途端
「自分の頭の中で考えてごらん」
と言われても
難しいということですよね
そして
これは勉強だけの話では
終わらない気がしています
親に何か言われたとき
「いやだ!」
とは言いますよね
お母さんと
ケンカもします
いやだとは言わなくても
無言で「何もしない」という
反抗もしますよね
でも
「じゃあ、どうしたいの?」
と聞くと
止まりませんか
それが嫌なら
どうするのか
何時ならやるのか
今日は何をやめて
何をするのか
代わりの案が出てこない
「いやだ」は言える
でも
「私はこうしたい」がない
この違いは
とても大きいと思っています
反抗することと
自分で自分を動かすことは
同じではありません
自分がどうしたいのかを考えて
そのための方法を考えて
うまくいかなければ
別の方法を考える
そういう経験を
私たち大人は
子どもにどれだけ
許してきたでしょう
危ないから
失敗するから
時間がかかるから
間に合わないから
こちらで決めたほうが
早いから
そうやって
先回りして
やることを決め
順番を決め
時間を決め
方法まで決めて
その一方で
「自主性がない」
と言ってはいないでしょうか
そして
中学受験という世界も
例外ではありません
何ページやる
何時からやる
ここを覚える
間違えたら直す
次はこれ
子どもが困らないように
私たち大人は
一生懸命道を作っています
私もその一人です
でも
道を全部作ってしまったら
子どもは
自分で道を探さなくても
歩けてしまいます
でも、いつかは自分で
歩かなくてはいけないはず
「あ」から始まる言葉が
出てこない
あの教室の沈黙を見ながら
私は
そんなことまで
考えていました
これは
この夏の42日間で
答えが出る話ではありません
原因が1つだとも
思っていません
ただ
42日間
子どもたちを見ていて
これで大丈夫なのかな
と感じたことを
今日は
そのまま書きました
明日から9月です
夏休みの最後の夜
お子さんの寝顔を見ながら
どうしてあげるのが
この子にとって
一番幸せなことなのか
大人は何かに
目をつぶってはいないだろうか
ちょっとだけ
考えてみませんか
何をするでもない時間
何も生み出さない時間
大人から見れば
無駄に見える時間
「さて、どうしよう」
と自分で考えなければ
何も始まらない時間
そんな時間の中で
自分から何かに働きかける力は
少しずつ
育っていくのではないかと
私は思っています
どうか良い秋を
迎えられますように
夏期講習、お疲れさまでした
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