コラム わたしと受験ーこのシリーズは、自己紹介も兼ねて、くま先生こと私と受験の関わりを振り返ってみたいと思います。
そろそろこのコラムも終わりに近づいてきました。
って、誰か読んでますかね、これ?
今回はくま先生の海外大学院入試編です。
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妻の願望を叶えるために留学準備
官庁には、海外大学院への留学制度があり、自分のいた省庁からも毎年数人、海外の大学院に留学しておりました。まず省内選考を突破し、推薦を得た上で、後は各自で希望の大学院にアプライする仕組みです。
もともと超ドメスティックで英語は試験としては得意でも、全くしゃべれなかった典型的ジャパニーズ
のくま先生ですが、嫁さん(なんちゃって帰国子女で英語堪能な弁護士)が、一度は海外で暮らしたいとのたまったことから、これを実現させるべく勉強を開始します。
凶悪な試験、TOEFL
省内選考を突破するにも、その後の大学院入試を突破するにも、一番大事になってくるのはTOEFL(トフル)と呼ばれる英語試験です。
この試験、くま先生史上、最悪に凶悪な試験
でした。
主な理由としては、
仕事しながらの受験なので対策する時間が取りにくい。塾にいく余裕がない
何度も受けられるのはよいが受験料が高い
(1回につきUS$ 245、今なら日本円で4万円弱!)
リスニングが一発勝負
(リピートなし)。しかも長い&難しい
パソコンに向かって延々と語りかけなければならないスピーキングがキツい
といったところです![]()
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くま先生は何回受けたのだろう…。思い出したくないです![]()
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当時は一度受けたら実質一ヶ月弱は再受験不可という制限もあり、省内選考や大学院入試の日程をにらみながら、期日までに確実に求められる結果を出さなければなりません。
やっと塾を使えるころに…
あらゆる試験を塾を活用することで乗り切ってきたくま先生、しかし仕事が激務過ぎて塾どころではありません![]()
省内選考は一度目はTOEFLの点数が悪過ぎて(60点台/120点満点)落ち、翌年はなんとか80点台まで上げて通過するも、それは大学院アプライまでの残り半年ちょっとの期間で100点以上を気合いで取れという業務命令に他ならず、そのプレッシャーは半端ではありません![]()
3ヶ月ほど寸暇をおしんで勉強しつつ、奇跡的に仕事が一山超えて一息つける時期が訪れ、ついに塾に通える日々が目前にやってきました!
よし、塾行くぞー!
と思って大金はたいてTOEFL対策の塾に入塾した矢先、
直前に受けたTOEFLがまさかの100点越え。
塾に行く意味がなくなりました![]()
お金返してほしい…
人生最高の日々
そんなこんなでなんとかTOEFL100点越えを果たし、無事留学することができました。
当時は国家公務員の身分でしたのでお国から推薦状をいただけたのもあり、世界大学ランキングでTOP10に入るくらいには良いところで学ばせていただき(ありがたや
)、公共政策と法律の2つの修士号を取りました。
ところで、くま先生の嫁さんは、こぐまを出産後、
と言い出し、さらっと受験して2度目の受験でTOEFL余裕の100点越え![]()
。なんと私と同じ大学院の同じ修士課程に留学することになりました(くま先生の努力は一体…。帰国子女め
)。
文字通り机を並べての勉強です。
幼きこぐま
をプレスクールに預け、こぐまが熱を出してもどちらかが看病できるよう、時間割が被らないようお互い調整し、定期試験前など、にっちもさっちもいかないときは日本から義祖母を呼び寄せる…という綱渡り留学生活になりました。
しかし、そんな苦労を差し引いても、留学生活は、それはもう人生最高の日々
といえるくらい楽しかったです。
仕事という責任からの束の間の解放、長期休みでの色々な国への旅行、バーベキューピットにプール付という日本ではありえないコンドミニアムでの暮らし、様々なバックグラウンドを持つ世界各地出身の優秀な級友たちとの交流…凶悪な試験をなんとか乗り切った甲斐はありました。
苦手だった英語も多少はマシになりました(今でもしゃべると内心冷や汗かきますが
)。どっちかというと、留学してしゃべれるようになった、というよりはTOEFLの受験勉強によって、英語力が総合的に向上した効果の方が大きかったように思いますが、この英語力が今の職への転職に活きることになります。
塾に頼りきりだったくま先生が、最後はまさかの、塾に頼らず(頼れず)自力でなんとかしたのはなんとも数奇な結末![]()
これがくま先生が最後の大きな受験に(今の所)なっています。




